2013/04/07

子供は社会のもの,と言う理由がひどい....

先日,ラジオを聞いていたら,子供はSocialに大事にしなくちゃいかん,という趣旨の話をしている人がいた.いや,それは良いのだが,その理由に堂々と社会保障のため,年金の原資となる税金を払う人として,という趣旨のことを言っていた.いや,そりゃ違うだろう?と思わず思ったのだった.
誰だって,自分が,自分の上の世代の連中を,自分に対して無理強いをして来ている連中を養うためにSocialな負担を負いたいとは思わん.自分の将来のために,と言われれば,そのための積立てだと思って,多少の負担を切り分けることは考える.しかし,まだ将来がバラ色の子供にとって,その「将来の積立て」を強要するのは土台理不尽だ.年老いた世代が,若い世代に対して「俺の老後が楽になるために働け!」は,彼ら若い世代にとって感情的 に受け入れられるワケが無い.彼らだって「楽をしたい」のだ.
その社会的な,親子の世代の感情的な格差を受け入れずに,平然と「将来の社会保障制度を担保するために少子化は大問題である」と言ってしまうのは問題があると思う.僕は,自分の子供に対して,そんな感情を抱かせたいとは思わない.いや,子供いないけど.生まれちゃった子は仕方無いとして,そんな将来の自分が食っていくために,現在,自分の子供を育てたいという感情を持たない,と言った方が良いかもしれない.
彼らに託したいのは,自分の将来の生活じゃ無い.多分,僕らの世代が成し得なかった何かを,夢を託すんだと思う.そうじゃ無ければ,子供を産み,育てることの目的なり,意味は無いでは無いか?その期待なり喜びなりが無ければ,子供を積極的に産み,育てることの価値は無い,と思うのだ.....
多分,こんな社会保障制度を前提とした世代では,おっつけ少子化は止まらない,ように思う.結局,社会とは,個人からの搾取を繰り返す,というモデルにしかならないのだったら,自分の子供を搾取される立場に置くために喜んで生み育てる奴はそうはいないよ,と思ってしまったのだった.

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