2012/11/11

Life Designという会社行事

僕が時間と労働力を販売している先の会社には,Life Designというセミナがある.例えば,40歳になった時,50歳になった時,という人生の節目に,会社の福祉制度を復習し,今後の人生設計に活用してもらおう,という趣旨の制度らしい.しかも,50歳になった時には配偶者も同席して,このセミナを受けることができる.このセミナを受けると,この会社の旅行関係を担当している関連企業でしか利用出来ない,という不思議な旅行金券が10万円分支給される.
僕も,この50歳のLife Designセミナに参加する歳になってしまったので,先日あったこのセミナに出て見たのだが,その内容の無さにすっかり呆れてしまったのだった.全然,その内容がRock*n*Rollしていない.いや,枠からはみだして生きているような人には全然役に立たない講習会である.
何が役にたたないか.
本来,こうしたセミナに期待されることと言ったら,これから会社をリタイアする向こう10年に向けて,ある企業体のなかでどのように生きるか,どのように「仕事を成し遂げるか」という,もっと前向きでCreativeなアイデアを育むことが大事なはずだ.「上がりを決め込む」大人にならないために,あるいは次の世代の人々のために,今君たちは何をするべきだ,というメッセージを伝えるセミナであって欲しいと思うのだ.
それが,このセミナの最初のコマは,健康診断の結果の読み方,だ.向こう,人生のクロージングまでの30年,という時間枠を示して(平均寿命や平均余命という統計情報を示す),この期間を健康に過ごすためにお酒は控えましょう,肥満にならないようにしましょう,と言う.ここからセミナが始まる.そんな寿命なんて,誰だって違うのは当然じゃ無いか,どんな人生の終り方をするか,なんて人によって違って当然なのだ.それをどうしてそこまで「標準」で評価するんだ?ここで躓いた.その後も,退職金はいくらと見込まれます,でも平均余命を豊かに生き抜くためにはこれだけの金額が必要です,だからどうしましょう,という話題にしかならない.そして,標準的な人生だったら居るであろう子供が独立するまでにこういう人生設計をしましょう,とやるのである.
これを朝の10:00からはじめて,終わるのは17:00.1日もかけてするような話か?無駄でしか無いだろう.これで配偶者でもいれば,また,「会社が奥さんに対して”旦那の稼ぎはこんなモンなんだから覚悟してね"と伝える」場ともなろう.その点じゃ配偶者に対して,旦那に過大な期待はするモンじゃ無い,と伝える良い機会かもしれん.でも,それだって,アタマの良い奥様なら,もうとっくに人生を見切っているころだろう.結局,この手のセミナが生まれた10年前,20年前の時期で,まだ消費が盛んにできるという幻想が世間を覆っていた人に,それに資する稼ぎを考えてね,というメッセージを伝える程度でしか無い.現実に,今企業の中で起きている様々な問題に対して,このメッセージは何も役に立たない.しかも,それを会社のお金でやっている,労組も一緒にやっている,という事態に,僕は愕然としてしまった.この会社は誰のためにあるんだ,と.この企業は,結局「自ら変わること」を拒否しているのでは無いか,と.全然,Rock'n'Rollしていないじゃ無いか,というのは,この姿勢が無いから,そこにはCreativityも感じない,詰らない講座にしか聞こえんのだ,と幻滅したのだった.
僕の職場が本社人事部の一部門ということも手伝って,この状況は芳しいものでは無いな,と思ってしまった.今,必要とされている企業人に対するclosingメッセージはこんなもんじゃ無いはずだ,とここのところ感じているのだ.今,必要とされているのは,この会社の次の世代,次の次の世代の働き手に対して,残りの10年,15年という枠のなかで何を伝え,何を残していくか,そこを戦略的に考えようぜ,というメッセージであって欲しいと思う.もちろん,その中で「上がりを決め込む」奴らも出てくるだろう.それは個人の責任だ.リタイアした後の人生も個人の責任だ.そこへ向けて,従業員ひとりひとりが納得してリタイアしていく,その環境を作ることが企業には求められているんじゃ無いだろうか?そして,それをやってのけてこそ,企業の従業員に対する勤めが果たせるのだと思う.そこまで考えていない人が会社の経営をやっているから,ここ数年の関西家電企業の凋落があるのだ.
結局,大企業の人事部門が,そういう考え方,世間の捉え方をしていないんだろう.だから,こんなCreativeでも無いつまらない研修を相変わらず,10年来,20年来のフォーマットを崩さずに実施しているのだ.生命保険,健康保険だって,もう制度として破綻している.年金だって破綻している.僕らの世代の「むしり取られ感」を,そのまま次の世代から「むしり取る」ことで穴埋めして,明るい未来を若い連中に託す,なんてことはもう出来ないのだ.そういう社会システムは成立しえないのが現実になったところで,この研修を会社のカネで続けて,果たして価値があるんだろうか,と,そこに疑念を持ってしまったのである.
でも,きっと,参加している同じ世代の連中の多くは,こういうことは考えないんだろうなぁ.まぁ,自分だけが生き残れば,と考えている人々なのかな.それって.....消費される人生というか,つまらない人生のように思うんだけどなぁ.そう言う人生観の人は,果たして本当に僕らの世代のどれくらいを占めているんだろう?

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