原発を止めるか動かすかで世論は大きく二分されている,ような気がする.原発を止めたいという人達が首相官邸前に集まってデモしているみたいだし,その人数は最近どんどん増えている,って言う話だ.一方で,電気を安く提供してくれないと困るという,これは経済団体の皆さんが一様に言うことで,こちらは電気代の値上げという形で僕らの生活にも表れている.ここ数週間程,関西電力の「計画停電」騒ぎは具体的なリスク軽減策の策定にまで至って,せわしなくなっているのも事実.どうも,経済界では電気代を抑えながらベースとなる電力を安定して供給するために,原子力発電所は是非とも必要,という話らしい.もっとも,関西地方は気温35℃を超えたら計画停電も不可避だろう,と言う話もある一方で,現状を見ているとなんか大飯を再稼働させなくても実は計画停電は不要になったんじゃ無いか,って言う様相も見せている.
こういう様相をつらつらと見ているに,ふっと気になることがあるのだ.それは,原子力発電所の老朽化に対してどう対応するの,という視点である.まず第一に,原発は老朽化する.放射線を浴びた原子炉の構造物は脆弱になるとされる.だから,原子炉は40年以上動かすのは止めよう,という話になっているはずだ.同時に,では原子炉の臨界が止まれば,すぐに原子力発電所は放棄出来るかというと,そうでは無い.使用済みの燃料棒が出す崩壊熱を取り除くために,また,安定した状態を維持するために,何年も冷却する操作は必要になる.これは,今,原子力発電所を止めたからと言って,もう放射線フリーです,という世の中にはならないということだ.しかも,所謂「放射能汚染」をされた廃材がたくさん出る.これらも,四散しないようにガラスに封入して,安定的な場所に置いて置くことが必要になる.原子力発電所というのは,それを廃炉にしたからと言って,すぐに「捨てます」とは言えないモノなのだ.その先も長期間,放射線を管理するためにコストがかかる.
不思議に思うのは,この廃棄コストのことを,国内の誰も語らないことだ.有効なデータが無いワケでは無い.東海村の実験炉等は,原子炉廃棄のコストを具体的に把握するために,既に廃炉,解体の作業をしていたはずだ.で,原子炉推進派の方々は,このコストをどう考えているんだろう,どう負担するつもりなんだろう,という疑問が生まれるのだ.もちろん,「今すぐ止めてしまえ」派の人も同じ.今「まだ使える」原子炉を止めて,では化石燃料を燃やして出てくるCO2とかどうするか,という議論が無いのである.実際,U.S.は,CO2排出を抑制するために原子炉を,と言っているはず.ま,あの国は,その後の原子炉廃棄についても「許容出来るコスト」の範囲で実現できるから,このような施策の選択も可能なんだろう.
実際のところ,この原子力発電所を廃棄する,という措置もすごく高コストになるので,多分,電力会社は「廃炉」をしたく無いのだ.さらに,単に「止めて置く」ということも,その間(半端無い)管理コストしか産まないので,これもやりたく無い.結局,運転することに一定のリスクがあるとしても,施設がある以上使わないと損なのだ.だから,東電も福島第一の古い原子炉を,それでも11年の3.11まで回し続けていたのである.しかも,古い炉であろうと,問題は起きないとごり押しをして来た,というのが,僕の理解だ.
さて,こういう前提で原子力発電のコストを考えると,たとえ,福島第1の問題があろうと無かろうと,現在ある原子炉は40年運転したら,そこで一度「廃炉」にせねばならん,ということになるはずだ.では,電力会社なり,経済団体の皆さんは,この「廃炉」のコストをどう考えているんだろう,という議論が全く欠け落ちているように感じるのだ.原子力発電所の廃炉は,前述の通り,すぐに使用済核燃料を抜き取って,建物をスクラップにすれば良い,というものでは無い.継続的に使用済核燃料を原子核の崩壊があるレベルに到達して崩壊熱が十分に抑えられるようになるまで,継続して冷やさねばならん.その上,建物だって放射性廃棄物の扱いになるから,これらも厳格に管理せねばならん.そうすると,たとえ原子炉を止めたからと言って,すぐにその同じ場所に次の原子炉を建てられるワケでも無い.新たな原子炉の立地を確保出来ない場合,放置していても本当は「次に原子炉を置く場所が確保出来ないから,原発が準備出来ない」という事態になる.そこまで考えて,では電力のコストは適正な状況にある,コストとして許容出来るんだ,という議論をしているんだろうか?そこまでのコストを考えていない,としたら,企業経営者としての視野が狭い.将来起こるリスクに対して,何もコンティンジェンシもミティゲーションもしていない,ということで,それ自体が既に経営者にとって致命的な欠陥だとも思う.
もちろん,目先の感情的善悪論で,原発は駄目,見たいな態度でも議論が前向きになるワケは無い.ただ,もう一方の勢力も,ここまでの情報を出してコストを示して,納得出来るかという議論をしなくちゃ意味が無いはずだ.原子炉の安全な運転,と言うのは,それは可能性はまだあると思う.また,安定したエネルギー源が必要なのも事実だ.でも,コスト計算で全体がどうだ,という正しい積算根拠を示さないと,本当に経済的なのか,全く判らないままになってしまう.その中で,本当に正しい判断を下せるのだろうか?結局,そうでなくても,ヒステリックな市民が,ただ感情的な議論で「反対」を唱えるだけだ.声の大きさと,発言の野蛮さで,彼らを凌駕することは無理だ.せめて,議論として正しいロジックを示すことが大事なんじゃ無いだろうか?
こういう様相をつらつらと見ているに,ふっと気になることがあるのだ.それは,原子力発電所の老朽化に対してどう対応するの,という視点である.まず第一に,原発は老朽化する.放射線を浴びた原子炉の構造物は脆弱になるとされる.だから,原子炉は40年以上動かすのは止めよう,という話になっているはずだ.同時に,では原子炉の臨界が止まれば,すぐに原子力発電所は放棄出来るかというと,そうでは無い.使用済みの燃料棒が出す崩壊熱を取り除くために,また,安定した状態を維持するために,何年も冷却する操作は必要になる.これは,今,原子力発電所を止めたからと言って,もう放射線フリーです,という世の中にはならないということだ.しかも,所謂「放射能汚染」をされた廃材がたくさん出る.これらも,四散しないようにガラスに封入して,安定的な場所に置いて置くことが必要になる.原子力発電所というのは,それを廃炉にしたからと言って,すぐに「捨てます」とは言えないモノなのだ.その先も長期間,放射線を管理するためにコストがかかる.
不思議に思うのは,この廃棄コストのことを,国内の誰も語らないことだ.有効なデータが無いワケでは無い.東海村の実験炉等は,原子炉廃棄のコストを具体的に把握するために,既に廃炉,解体の作業をしていたはずだ.で,原子炉推進派の方々は,このコストをどう考えているんだろう,どう負担するつもりなんだろう,という疑問が生まれるのだ.もちろん,「今すぐ止めてしまえ」派の人も同じ.今「まだ使える」原子炉を止めて,では化石燃料を燃やして出てくるCO2とかどうするか,という議論が無いのである.実際,U.S.は,CO2排出を抑制するために原子炉を,と言っているはず.ま,あの国は,その後の原子炉廃棄についても「許容出来るコスト」の範囲で実現できるから,このような施策の選択も可能なんだろう.
実際のところ,この原子力発電所を廃棄する,という措置もすごく高コストになるので,多分,電力会社は「廃炉」をしたく無いのだ.さらに,単に「止めて置く」ということも,その間(半端無い)管理コストしか産まないので,これもやりたく無い.結局,運転することに一定のリスクがあるとしても,施設がある以上使わないと損なのだ.だから,東電も福島第一の古い原子炉を,それでも11年の3.11まで回し続けていたのである.しかも,古い炉であろうと,問題は起きないとごり押しをして来た,というのが,僕の理解だ.
さて,こういう前提で原子力発電のコストを考えると,たとえ,福島第1の問題があろうと無かろうと,現在ある原子炉は40年運転したら,そこで一度「廃炉」にせねばならん,ということになるはずだ.では,電力会社なり,経済団体の皆さんは,この「廃炉」のコストをどう考えているんだろう,という議論が全く欠け落ちているように感じるのだ.原子力発電所の廃炉は,前述の通り,すぐに使用済核燃料を抜き取って,建物をスクラップにすれば良い,というものでは無い.継続的に使用済核燃料を原子核の崩壊があるレベルに到達して崩壊熱が十分に抑えられるようになるまで,継続して冷やさねばならん.その上,建物だって放射性廃棄物の扱いになるから,これらも厳格に管理せねばならん.そうすると,たとえ原子炉を止めたからと言って,すぐにその同じ場所に次の原子炉を建てられるワケでも無い.新たな原子炉の立地を確保出来ない場合,放置していても本当は「次に原子炉を置く場所が確保出来ないから,原発が準備出来ない」という事態になる.そこまで考えて,では電力のコストは適正な状況にある,コストとして許容出来るんだ,という議論をしているんだろうか?そこまでのコストを考えていない,としたら,企業経営者としての視野が狭い.将来起こるリスクに対して,何もコンティンジェンシもミティゲーションもしていない,ということで,それ自体が既に経営者にとって致命的な欠陥だとも思う.
もちろん,目先の感情的善悪論で,原発は駄目,見たいな態度でも議論が前向きになるワケは無い.ただ,もう一方の勢力も,ここまでの情報を出してコストを示して,納得出来るかという議論をしなくちゃ意味が無いはずだ.原子炉の安全な運転,と言うのは,それは可能性はまだあると思う.また,安定したエネルギー源が必要なのも事実だ.でも,コスト計算で全体がどうだ,という正しい積算根拠を示さないと,本当に経済的なのか,全く判らないままになってしまう.その中で,本当に正しい判断を下せるのだろうか?結局,そうでなくても,ヒステリックな市民が,ただ感情的な議論で「反対」を唱えるだけだ.声の大きさと,発言の野蛮さで,彼らを凌駕することは無理だ.せめて,議論として正しいロジックを示すことが大事なんじゃ無いだろうか?
0 件のコメント:
コメントを投稿