先日,3月31日に,長年勤めた会社を定年で退職した.大学院修士課程が終わってから34年,まぁ,長かったよね.良かったことも悪かったこともあるんだが,なんとか最後迄走りきった.親の介護問題なども勃発した最後の1年,どうなるかドキドキしていたが,これで当面,生きてくために稼ぐ活動は,一区切りをつけることになる.今後は,しばらく純粋な消費者として,何者にも縛られない活動をしていく予定ではある.まぁ,所属した企業の中で,色々とやり残したことはあるという点では「やりきれなかったな」と思うところもあるんだが,このままずるずる会社に居てもね,という話と,両親がほぼ同時に倒れたのでその面倒を見ないとなというので,一回,ここで積極的にお休みを取ることにする.
企業というのは,どうも,面倒で本質的でない作業も色々とあって,まぁ,CMMIに基づくプロセス改善等の活動もやっていた立場からは一概に否定は出来ないのだけど,でも企業としてのガバナンスが強化される中で,企業体に所属しているのが面倒臭くなったのも事実だ.今後も多分,ソフトウェア工学の面での作業を趣味として続けて行くつもりだけど,一回,社会的にはきれいに抹殺されてみたいなとは思っている.
ただ,企業に所属していない状態になると,年金が得られるまでの期間をどう過ごすか,悩ましいところではある.どうしても現状では月¥200K程度は生活費にかかってしまうし,あるいはこれにケータイや電気代等のインフラサービスの費用や税金も乗ってくる.手持ちの資金が足りなくなったら,なにかバイトするとか考えないといけないかもしれない.個人的には,ここで,自分の趣味全開でいくつかやってみたいことはあるのだけど,どこまで出来るかなぁ,とちょっと心配中.やっぱり,趣味をカバーするように起業して節税するとか,色々考えてみたいところだなぁ.何が出来るか,どうすると良いか,良い指標を持ち合わせていないのが現状だ.
本質的な問題としては,企業体が定年を60歳のままにして,政府の制度的には65歳にならないと年金とかの配布をしない,という現行制度の問題はある.そして,この隙間の5年間の過ごし方の選択は,ひとつは嘱託として給料半減,だけど仕事量は同じで仕事するか,あるいは無職になるかという選択肢程度しかないのが悩ましいところだ.まぁ,今回は親の介護も考えなくちゃいけないのもあり,後者を選択したけれど.そうじゃ無くても,多分後者を選択するのは同じだろうな.
今後が不透明なのは,親の介護に対するイメージが具体化出来てないことが原因だ.どうも,介護の制度が地方自治体単位で細切れになっているらしく,「適切な介護」がどういうものかのイメージを持てないでいる.親からすれば,世間から隔離されちゃう介護施設は,姥捨て山に感じるのだろう.一方で,在宅介護にすると色々とサービスが細分化されていて全体像が見えないのが悩ましい.それはこっち,それはあっち,みたいなのが面倒.しかも,それを家族の介護担当者に委ねられるから,他の選択肢がどういうものなのか判らずに苦労することになる.制度アーキテクチャが悪い,という言い方も出来る.この辺り,いかに政府が考えてないか,あるいは政府が考えさせないようにしているか,ということなんだろう.多分,この国はこれから老人には過ごしづらい国になる気がする.なんだかなぁ.ま,今の時代,世界のどこに行っても,多分,過ごしづらいところが多い気もするけど.....
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