以前,社内の,それも以前から長いこと世話になっている先輩から,「日本的なプロセス改善」とか無いのかね,と言われて,それはそれは驚いたことがある.CMMIアセスメント等の苦難を一緒に乗り越えて来た,しかも色々な経験を教えてくれた,尊敬する先輩が,まるで暫く会わないうちに「そっち側へ行くか」と,それは大層驚いたのだ.それ以来,個人的には「日本的〜工学」とは何か,気になって仕方無い.
もっとぶっちゃけて言おう.その「日本的」工学で,これまで世界に誇れる大規模製品を開発出来てきたのだろうか?日本の組み込みSWは,米国と比較しても品質が良い,というが,それが世界に通用した製品の中で,重要な位置づけをもって評価されて来たことがあるんだろうか?いや,むしろ,先日の某T社のハイブリッド車のように,あんな「ちんけな」芝居で,見事にBlack Boxな組み込み制御SWが疑われ,それは短期的に消費者離れを起こす程の疑いを持たれたのでは無いか.むしろ,足元を見れば,その無理を押し付けられた若者達が,どんどん潰れている現実もあるじゃ無いか,と思うのだ.
一方で,海外では,それこそISO 15504やCMMIのように,トップダウンで「カイゼン」を標準化し,しかもそれを推し進める枠組みができているじゃ無いか.あるいはISO 26262でも良いし,IEC 16504でも良い.彼らは,開発プロセスの「秘密」を,その構成要素に分解し,その個々の構成要素で何を実施すべきかを具体化して,国際標準という形で文書化しているじゃ無いか.もちろん,そこに記載されたノウハウが,モノ作りの全てのノウハウじゃ無い,という意見もあるだろう.だけど,そういう人に限って,「いや,こういう構成要素があるんだ」という話題に展開されない.人の使い方だ?いや,現実に足元で潰れていく若手のエンジニアたちを見て,それでも「人の使い方」と言えるのか?そして,気がつけば,僕らは,海外で形式化された「日本のお家芸」を,ビジネス上の要件として突きつけられ,その都度「これは何だ?」と,一生懸命,後追いをしているように見えて仕方ない.
もうひとつ例を出そう.某大学の偉い先生が提唱したという「摺り合わせ開発」だ.某T社が市場で強いのはこのせいだ,と言う言い方をするけれど,それは本当なんだろうか?個人的な考えではあるのだが,実のところ,「摺り合わせ開発」というのは,クルマという大きなシステムをきちんと設計出来ていないから,結局パーツ屋に責任を負わせて,納品後に少しずつ調整をかけている,ということではないのか?発注ー受注という外部委託のモデルを当てはめると,実は,発注側が発注仕様をきちんと定義出来ていないのだ.システムエンジニアリングの不在を意味しているように思えて仕方ない.ちなみに,このような段階的な開発そのものを僕は否定するつもりは無い.プロトタイプなんだよ,という位置づけなら,Bohemが80年代に論文に書いているSpiral Processがそのままここに当てはまる.製品開発に先立って,プロトタイプをしながら開発リスクを潰すんだ,という考え方は,各フェーズでの活動の目的も非常にはっきりしている.それに比べて,「摺り合わせ開発」は何をどう定義している,というのだろう?それを,日本的エンジニアリングだとして,そこに飛び付く日本のエンジニアは,思考停止に陥っているんじゃ無いか?
もし,日本的エンジニアリングが,要因を分解・分析せずに曖昧なまま放置することだったら,それはエンジニアリングと言って良いのか,という問いかけが,僕の根底にある疑問だ.「日本的な何か」というのが,そういう「分析をさけ,曖昧なまま放置する」類のものであれば,結局,それは世界を席巻するエンジニアリングにはならないんじゃ無いか,と思えて仕方ない.
「エンジニアリング」とは,色々な制御可能な要素が何で,それを制御することで我々が望むビジネス上のゴールを達成することだ.この立場に立てば,「日本的エンジニアリング」と言ってそれ以上の要因分析をしない結果は眼に見えている.「日本的なマジック」は,そのまま海外の人々が客観的に分析し,体系化し,技術として標準化してしまい,それをビジネス上の制約・要求事項として突きつけられて慌てふためく,という流れをそのまま繰り返すんだろうか?もし,「日本的エンジニアリング」がそのようなものだったら,多分,僕はそれは「エンジニアリング」では無いと思うんだが,いかがだろう?
「エンジニアリング」とは,色々な制御可能な要素が何で,それを制御することで我々が望むビジネス上のゴールを達成することだ.この立場に立てば,「日本的エンジニアリング」と言ってそれ以上の要因分析をしない結果は眼に見えている.「日本的なマジック」は,そのまま海外の人々が客観的に分析し,体系化し,技術として標準化してしまい,それをビジネス上の制約・要求事項として突きつけられて慌てふためく,という流れをそのまま繰り返すんだろうか?もし,「日本的エンジニアリング」がそのようなものだったら,多分,僕はそれは「エンジニアリング」では無いと思うんだが,いかがだろう?
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